空と雲

カテゴリ:昔話( 2 )

昔話

今日は強い風が吹き荒れていて
隣の畑から土埃が進入してきます
洗濯物もその土埃をかぶるので部屋干しなんですが
今日の洗濯物の量はとっても多く
部屋中洗濯物の乾燥室状態となってます
こんな日は朝から気分が低下~~~042.gif

063.gif ここから昔話
備忘録です

生まれた頃は世田谷に住んでいたけど
その世田谷でも数回越したらしい
よく親の話に出てきたのは「代田」「三軒茶屋」「太子堂」「代沢」等々
今では雑誌によく出てくる場所ばかり
その頃の記憶は全然ないので、パスして
少しだけ記憶のある「大田区池上」から
私が生まれた頃の父は公務員だった
それが弟が生まれると同時に民間企業の会社員となった

父がよく言っていたのだが
その頃の公務員は給料が少なかったので
民間企業に勤めなおしたそうだが
あのまま公務員だったら恩給が付いたので、
辞めなければ良かったとよく言っていた
でもその頃はそんな事を考える余裕もなかったのだろう

その民間企業には社員寮があったのも魅力だったのかもしれないが
その社員寮と言うのが、今のようにマンションなどではなかった
それは池上にあった
庭には大きな桜の木があって、春には桜の花が咲いていた
夏には早朝にせみが地中からその木に登って来る
それを見るために早起きをしたりした
そんな広い庭が付いている、平屋の大きな家だった
ここまで読むとなんて素敵な社員寮だろうと思うでしょう?
その大きな家には部屋がいくつかあって
広縁で繋がっていた(時代劇に出て来る様なお屋敷みたい)
そのいくつかある部屋を一部屋ずつ各家族が使うのである
もちろんトイレと台所は共同で風呂は無し
玄関は一つだったが、各部屋の前を通る事になるので
各部屋の前の広縁から出入りをしていた
一件の大きな邸宅を数家族で住んでいたという
今では考えられない社員寮だった

そばには川が流れていて、この川が台風や大雨が降るとすぐに氾濫した
買い物で大雨に降られてしまい、家に帰った時にこの川が氾濫をしていて
どぶ川のようになった道をずぶぬれになって帰宅した事もある
この川は呑川と言って現在は半分くらいが埋められているが
残りは流れが残っている
今では氾濫も起こらなくなったらしいが・・・

たぶん私が4~5歳くらいの間、そんな環境にいたらしい
その頃の私は、近所にある池上本門寺のそばの区立の保育園へ行っていた
家からは本門寺の裏にある墓地を抜けて通っていたので
境内は遊び場になっていたが、本門寺の正面にある参道はあまり行った事がなかった
そう言えば、お寺の五重塔に幽霊が出るなんて言ったのは誰だっけ?(^_^;)

何人位で遊んでいたのかは記憶にないが
一人だけ覚えている子がいる
その子は「久子ちゃん」と言って、お雛さまの様な顔をしていたと思う
その久子ちゃんとは川沿いの道の途中で待ち合わせをして遊んだ記憶があるが
どんな遊びをしていたかは覚えていないし
家が何処だったかも覚えていない
ただ待ち合わせた場所が川沿いの角のそば屋で
その横に今ではあまり見なくなった二宮金二郎の像があった
最近になってgoogleで調べてみたが見つからなかった(当たり前だけど)

余談だけど、その頃は今のようにこんなに暑くはなかったのだろう
近所のお菓子屋さんでかき氷の出前を取った覚えがある
ほんの2~3分の距離だったが、今の様な暑さだったらとうてい無理な話だ

そして最近思いだした事がある
家の隣に一軒家があって、そこの子とも遊んでいた
たぶんお金持ちの家だったのだろう
持っている物も良かったと思う
何度かその家へ遊びに行ったのを覚えている
ある日、その子の母親が私に人形の着物を作ってくれた
それは古い着物の生地で作った物で
とっても地味な柄だった(黄土色と紺と白?)

その子の持っている人形の着物と比べると、とっても地味な色合いだった
そしてその子の親が言った「あまり〇子の物が欲しいって言わないでね」
その時は、なんのことか分からなかったが
ずっと後になってから、この他人からの言葉をようやく理解できた
それは4・5歳の子には分からなかったし、言い返す事も出来なかった
私は一言も言っていなかったのだった
あまり人の物を欲しがらなかったし
親に欲しいい物をねだった事はなかったと言うよりもねだれなかった

人からもらっていてこんな事を言うのもなんだが
あの色合いは4・5歳の子には地味すぎた
おばさんになった今ではいいと思うかもしれないが・・・

そう、これを言ったのはどうも母のようだった
娘が可愛そうだと思ったのか・・・

何にも知らない私には寝耳に水の出来事だった
たぶん母はその着物をもらってきた私を見ていい事をしたと思ただろう
私がその子の親から何を言われたのかも知らないで

それからその子の家には行かなくなったし
その着物も何処へ行ったのか分からない

その1年後に
我々家族は次の社員寮のある川崎へと越すのであった
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by sarara-green012 | 2014-08-04 17:03 | 昔話 | Comments(0)

懐かしい人

先日、引き出しを整理していたら、
懐かしい手紙や写真が出てきた

私が独身の頃から、結婚したての頃のもの

写真は勤め先から行った旅行の時で
みんなとっても若いのでした~

名前はかろうじて憶えているんですけどね~
今何をしているかが分かりません

思えば退社後の付き合いがなかったのです
もっと付き合っておけばよかったと今更ながら思うのです

私は遠かったので
通勤時間が掛かるから速攻駅へ向かっちゃったしな~

早く帰らないと、次の日に影響があるのと
家の人が心配する(うるさいとも言う)からなんですが・・・(^_^;)

今思うと仕事場は家から近い方がよかったかな?
そうするとこの人たちと会う事はなかったから
どっちが良かったのかは不明

手紙の方は同じ部署の一年先輩の女性

この方は私にとっては初めて会うタイプの人でした

と言うのも、あまり年上の人と接する機会と言うものが無かった私
初めはもうビックリする事ばかりでございました。。。ハイ

あまり人様のやる事が気にならないと言うか
もし気になっても聞けないと言うか(苦笑)
わりと損な性格の私なんですが
この時も5年近くも一緒に働いていて
この女性の事をあまりよく知らなかったんです

ほんとうに馬鹿な私でございます

住所と年齢位は知ってましたけどねぇ
あっそうそう、フルートをやっていましたっけ

先にも書いたように
私の友達の中にはいないタイプで
着る物も流行を追うのではなくて、自分の好みの服を着るし
雑貨などの趣味もいいんです
素敵なイラストも描いたりして
もうねぇ、どうしたらこうなるんだろうなんて思っちゃいました

一時、真似したりしたこともあったんですよ~
でもね、もって生まれた才能とでもいうのでしょうか
私には無理でした~(涙)

そんな日々を過ごしていたのですが
その方は好きな方面の仕事をしたいとかで
ある時、転職してしまいました

その後何回か手紙のやり取りをして
私が結婚をして長男が1歳くらいの時に
我が家へ来てくれたんです

なにしろ趣味の多い方で、この頃は登山が趣味でした
(今でも登っているのかな~?)

時々山から葉書をくれたりしていたんですけどね
ちょっと筆不精というか、思い立った時に書くと言う方なので
そのうち疎遠になってしまいました

今から10年くらい前に
ハガキが出て来たので
電話をしてみたら、全然知らないお宅で
ではという事で
手紙を書いて送ってみたら、これも返却されてきた
もしも引っ越して一年以内だったら
新しい住所へ回送してくれるのだけど
それも駄目という事はもっと前に越したという事

今では探すすべもなく。。。(涙)

たぶん
私の事なんて忘れるくらい充実した人生を送っているだろうけど・・・

もしも会えたら、泣くだろうな~ワタシ

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我が家の蝋梅


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by sarara-green012 | 2014-01-15 11:01 | 昔話 | Comments(2)